木原 元禮 きはら ろうこく
   

青波濃似酒
堤柳細如煙
瓢琴客奮
此景物妍
春誤青
春波 濃く 酒に似る
堤の柳 細く 煙の如し
瓢琴 客奮し
此の景物 妍たり

30.9p×120.5p

文政7年(1824)生〜明治16年(1883)5月27日歿
 木原元古の三男として常陸国の土浦に生まれる。本姓は柴沼氏、名は元礼、通称は雄吉、字は節夫、号を老谷と称した。
 幼少の頃から学問を好み、藤森弘庵について学び、やがて江戸の昌平黌に留学し重野安繹・藤野正啓・三浦安・岡千仭・中村鼎五らと共に学んだ。
 文久3年(1863) 藩校郁文館の分館 采藻館の学監となった。維新後は藩が廃止されたため、太政官の左院に出仕し、さらに明治8年(1875)、修史局の開局とともに第二課の二等協修として勤務した。明治10年(1877)、病のために修史館を退き、病が癒えたのち、埼玉県令白根多助の招きに応じて中学師範校(のちの埼玉県師範学校.現在の埼玉大学教育学部の前身)教諭となり、同15年6月からは校長として勤務した。が再び病に罹り、翌年60歳で死去した。
 詩文約1100編をのこし、うち86編が「老谷遺稿」におさめられている。
 「老谷漫史」の下に、白文回印の「木原元禮印」、朱文の「老谷山樵」の落款印が押されている。

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